魔人望蜀
～５日目～
熊猫。エヴァンゲリオン。外人多し。三星堆。子供多し、と書いてある。
その日は成都大熊猫繁育研究基地（パンダ飼育研究センター）と古代殷周時代の出土品が展示してある三星堆博物館ツアーに行くことになっていた。
朝、とても早く起きた。
成都に来て、５日目となるが、どうにも落ち着かない。せっかく、日本から離れたというのに、昨日、公安からジロジロと見られ、どうにも不安な気持ちが治まらない。理由はわかっている。日本人なので、公安から、〝敵国の危険分子″として、監視されていたからだ。きっと日本では安保法制が大きなニュースになっているに違いない。だから、〝憎っき日本人め″と公安や人民解放軍に目を付けらているに違いない。きっとそうだ。そう確信するとそれを確かめるべく、日本の母親に『今、日本はどうなってるの？大きなニュースは？』とメールした。そしたら、
『一人が寂しいだけ。何もないよ』
とだけ返事が返ってきた。
一人が寂しいだけ？・・・って、何だ、一人って、その一人って誰で、何が寂しいのか？・・・おれか？寂しがっているのはおれか？・・・おれが寂しがっているのか？・・・寂しがってるから、被害妄想にかられているとでも云いたいのか？・・・誰も寂しがってなんかいやしないぞ。それどころか、日本人がいなくて、うれしいくらいだ。・・・何もないって、何もなかったら、公安があんなにうるさいわけないだろ。おれは公安から目を付けられているんだ。それも日本で大騒ぎになっている安保法制のために。それが紛れもない事実なんだ。・・・うちの母親は一体全体、何を考えて、〝事実でもないこと″を書いて寄こしたのだろう？〝何もない″と云ってること自体が〝事実″じゃないだろ。
『何もないはずないだろ～！日本人、誰もいないよ。日本のニュースもない！』
と母親に返事を返した。
日本人は誰もいない。日本についてのニュースもない。
そうだ。中国人が日本人と悪と思うはずがない。
でも、おれは中国の公安から睨まれている。
それは一体、何故なんだ？
母親からの返信はなかった。
琴台路にある譚魚頭火鍋店が待ち合わせ場所で、店の前で、パンダ飼育研究センターに行くバスを待っていると同じツアー客で、ハルピンから来たという中年夫婦と仲良くなる。ハルピン大好き、とても良いところと夫婦に話したら、とても喜んで、瀋陽や北京は仕事が良くないと漏らしていた。成都の次はチベットを旅行するとも云っていた。
そうして、ハルピン夫妻と仲良く、和気あいあいにしゃべっていると、どこから来たのか、突然、車イスの老婆とそれを牽く中年の女性２人が現れ、おれらが話してるそばにぴたりと寄ってきた。老婆たちは何もしゃべらない。何を待っているか？同じバスなのか？何故、おれの隣りに車イスをぴたりと付けてくるのか？一体、この老婆は何なのか？同じ歳はゆうに８０才は過ぎているだろう。こちらをちらりと見てもぼんやりと見つめるだけで、何もしゃべらない。無言のままだ。なんだが、老婆たちとの間で、妙な時間が過ぎた。こうして、車イスの老婆を見ていると介護の仕事をしていた頃を少なからず、思い出してしまう。・・・そう、ひきこもりになる前だから、もう２年にもなるか、あのときだって、おれは何も悪くはなかった。・・・いや、悪かったのか？しかし、少なくとも虐待なんかしなかった。暴言だって、吐かなかった。・・・技術？ミス？ヒヤリハット？・・・それらしいことはいくらでも並べることができるだろう。でも、それがなんだ。技術以上に問題のある人間なら、他にもいたじゃないか。だから、現実に老人ホームでの虐待が後を絶たないじゃないか。そうだ。やってるやつはやっているし、見て見ぬふりをしているやつは見て見ぬふりをしてるんだよ。そのなかで、おれがどれほど悪かったというんだ。少子高齢化が進むというのに、介護施設の経営は苦しい。どんどん潰れる。介護職の老人への虐待は増え続ける。自宅介護はどうかといえば、老老介護に疲れて、お年寄りがお年寄りを殺す。そんなニュースばかりじゃないか。
結局、国は何の解決もしていないというのになんだというんだ。
（おれは悪くない。何も悪くないぞ。）
老婆から目線を逸らして、そんなことを思っていると、車イスの老婆らは別のバスへと向かっていった。どうやら、バスは違うが、同じツアー客だったようだ。
・・・それしても中国でも車イスを引っ張る姿をよく見かけるようになった。
中国の方が日本よりももっと老人を取り巻く環境は厳しいに違いない。
ツアー客はこのハルピンの夫婦以外にどこから来たのか聞かなかったが、子どもづれの若い夫婦と中年女性のペアの計８人で少人数だった。昨日に比べると随分と少人数だ。バスのなかでは子供が何もしゃべらず、スマホでずっとエヴァンゲリオンの動画を見ている。
中国の子供がエヴァンゲリオンが好きだとは思わなかった。ドラえもんやワンピース以外のアニメも随分と人気らしい、・・・ということはわかった。・・・まぁ、中国のＴＶ番組があれだけつまらなかったら、それもありだろう。もっとも、ゴシップだらけの日本のバラエティを中国人が見ても面白いとは思わないだろうから、おれが中国の歌番組や時代劇をつまらないと感じるのも要するにそれと同じか。それにゴシップなど日本人が見ても必ずしも面白いものでもない。
センターでは、門の前から、すでにたくさんの観光客が烈を成していた。みな、余程、パンダが好きなのだろう。矢印に書いている順路を回りながら、檻の中で寝ているパンダを見物。続いて、行ったところではレッサーパンダが放し飼いのようになっている。ハルピン夫妻が、声をかけてきて、レッサーパンダとの写真を撮ってくれた。
レッサーパンダが木に登っているのを初めて見たが、レッサーパンダも野生に近いとかなり動きも早く、気も荒い。
パンダたちも上野動物園のパンダとは大違いで、狭い檻のところと違い、広々としたところでは、実によく動いて回っている。
ガイドさんが肩を叩く。写真を撮ろうかという。にっこり笑って、写真を１枚、また１枚。随分とパンダとの撮った。
生まれたばかりの赤ちゃんパンダも見学。ただ、ただ、かわいいの一言。それ以外に表現する言葉がない。外国人客も随分と多い。今回の成都旅行でもっとも外国人多かったのが、このパンダ繁殖研究センターで、欧米人の観光客がやたらめったらいて、賑やかに話をしていた。他の観光地に比べて、格段に多かったのは、それだけ、このパンダ飼育研究センターに集中して来ているということだろう。ただ、日本人の姿はまったくなかったが・・・。
ーそうだ。世界から見れば、日本人などちっぽけな存在だ。やっと気づいたか？
ーまたか・・・。
ー日本なんかちっぽけだろ。
ーわかったよ。その通りだよ。たしかにその通りだ。
ー今回は随分と素直だな。どうした？
ー別に。日本は小さい。その通りだよ。
それ以外にいうこともないだろう。
三星堆博物館はとにもかくにも素晴らしかった。三星堆遺跡は広漢市三星堆で発見された今から３０００年～５０００年も昔（日本ではまだ竪穴式住居で、土偶を造っていた縄文時代の後期）に、蜀の地で栄えた古代文明のものなのだが、とてもそんな昔に作られたとは思えないほど精巧で、現代アートをものともしないくらい前衛的でエキセントリックなデザインの出土品が並べられている。そのなかでも目玉はなんといっても縦目がヒョウキンな青銅縦目仮面で、それ以外でも青銅人頭像や青銅立人像も素晴らしかった。とにかく、他に云い現わす言葉が見当たらないくらい、素晴らしいの一言。
（こんな素晴らしいアートに出会えるとは、・・・日本では見られないだろう）
台湾故宮博物院に勝るとも劣らぬくらいの感激だ。・・・それにしても見物客に子供がたくさんいて、初めて、古代文明に触れて、珍しいのだろう、ガラス越しに青銅器などの遺跡の出土品を眺めてはなにやらあれこれと騒いでいた。
帰り、バスの外を眺めると建設ラッシュなのか、郊外に建設中の高層ビルがやたらと建っている。中国はバブル崩壊とも大不景気とも報じられているが、そもそも実体経済が不透明なので、何が本当だか嘘なのだかよくわからない。ただ、いっしょに旅行している中国人からは困窮とか上海ショックいうものはどこにも感じられなかった。そもそも旅行しているような人間が貧乏なわけはないし、それどころか、おれなんぞは今だにガラケーを使っているが、ガラケーを使っている中国人は旅行中、誰ひとりとして見なかった。みんな、スマホである。デパートは買い物客でいっぱいだし、観光地は日本人がいないというだけで、ひと、ひと、ひとで埋め尽くされていた。
（もし、中国経済が悪いという日本の報道が事実であれば、旅行中、上海ショックを全然、感じなかったのは、中国人民が中国共産党を信じているからというよりは国営共産資本主義というものにどっぷりと浸っているからというほうが事実に近いのだろう）
というのがおれが感じた率直な意見だ。
２０１５年９月２２日